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トゥブフン寺院
カラコルム市遺跡

中央モンゴル

トゥブフン寺院

トゥブフン寺院

1651年にチンギスハーンの王族の子孫である初代活仏ザナバザルがトゥブフン寺院を修行センターや仏教芸術作品の寺として設立した。1939年に共産主義のリーダによって破壊されたが、現在お寺の遺跡が部分的に回復された。お寺は森林に囲まれた風光明媚なところの山の頂上に位置している。初代活仏はここで有名な「ソヨンボ」というスクリプトや他の多くのユニークな作品を作り上げた。トゥブフン寺院もオルホン渓谷の世界文化遺産のサイトの1つである。

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カラコルム市遺跡

カラコルム市遺跡

チンギスハーン(幼名テムジン 1162年頃-1227年)は、モンゴルを強大な国家として統一し、その領土として東はハルハ川(現在のモンゴル東側国境)、西方イルティシュ(現カザフスタン)、南はいわゆる万里の長城以北、そして北方はバイカル湖に至るまでの広大な地域を支配しました。古都カラコルムは、チンギスハーンの命によりオルホン峡谷に1220年首都として置かれたのでした。現在は遺跡としても有名なカラコルムは、1220年から1260年と言う短期間ではりましたが、大モンゴル帝国の行政を司り、各国との貿易、工芸産地また有形無形の文化の集積地としても、いわゆるシルクロードの交差点として重要な機能を果たした大都市でもあったのでした。 またこの間には、帝都カラコルムはアジア・ヨーロッパ・アラブ各国の商人や政治家及び官吏そして科学者までもが多数集まり、文化の交流基地としてもその大都市機能を果たしたと伝えられます。特筆すべき事に、宗教に寛容であったチンギスハーンの政策を受け継ぎ、仏教、キリスト教、イスラム教の宗教者が集い、盛んな活動を展開したと言われます。また1254年には、ムンフ皇帝によりこれら三大宗教者を多数招き、史上初の世界宗教会議を開催しました。 1235年には大モンゴル帝国は、その強大なる勢力と繁栄を謳歌し、その象徴として『完全なる平安』と名づけられた宮殿を造営し、カラコルムは大帝国モンゴルを象徴する首都として異彩を放ったと伝えられます。とりわけ「完全なる平安宮殿」の前には、パリから招かれた技能熟練工ギロームボシェの作品と言われる「銀の木」という特別なモニュメントが立てられていたと言います。国家的な祝宴、モンゴルの神々への祭事などの折には、その機械仕掛けの装置の頂に笛を吹く天使が舞い、銀の木の周囲四ヶ所の注ぎ口から、馬乳酒(アイラグ)、葡萄酒など美味な四種類の酒が流れ出ていたといいます。この光景はフランス王ルイ9世が派遣したキリスト僧ルブルックが、皇帝に拝謁した折に目にした光景として、大変に有名な逸話として伝えられています。 カラコルムの都市建設期間中は、モンゴル独自の建築技術者はもとより、フランス、イギリス、ハンガリー、チベット、ネパール、そしてペルシャ、中国及び韓国などの諸国よりも数多くの熟練建設技術者がそれに当たったと言われます。カラコルムの重要性が認識されて以降、その遺跡発掘では、ファラオのマスク、アラビアの貨幣、銅、銀、宝石などの貴金属宝飾品、また革製品と武具やその輸送用の馬具と大型荷車などが大量に発掘発見されました。これらの事実から、近年の研究の成果として、カラコルムは既に早期から金属加工技術が確立されていたという、学問的にも貴重な歴史が確認されたのでした。 1260年には、三代皇帝フビライハーンにより、モンゴル帝国の首都は中国北京に遷都されました。しかし歴史がさがる1380年、加えて1410年に、中国の民国軍がカラコルムを大規模に攻撃し、全て破壊し尽くされて灰燼に帰し、威容を誇った帝都は長い眠りに着いたのでした。

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